「食事は人と食べたほうが美味しい」理論
ある有名プロデューサーと飲みに行ったときのことだ。
「一人で食事に行くなんて絶対に嫌だよ。人と共有するからこそ喜びが得られるんだ。」
高視聴率を叩き出す有名番組を生み出している彼はそう告げながら、不思議そうに私の顔を見た。
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私は出版社勤務で、雑誌の編集者をしている。休日・深夜問わず必要ならばいつだってPCを広げて著者から来た原稿を編集し、私自身も何万字の原稿を書く。
いつ原稿が来るかわからない予測不可能な状況の中で、人と確実な時間の約束をするのが難しい。いや、約束はできたとしても、結局急な仕事が入って断らなければならず、折角時間をつくってくれた相手に迷惑をかけるかもしれない。そう感じるのがストレスになってしまうのかも。さらに、平日は仕事が終わる時間も遅く、仕事がひと段落ついた22時から急に友人を飲みに誘うのも気が引ける。
もちろん、私にだって誰かと肩を並べて酒を交わしたい時も、ゆっくり一品ずつを味わいながら味覚を共有する時間を大切にしたい時もある。それはそれだけど、それがマストではない。
だって。誰にだって疲れた心身を取り繕って、笑顔をつくるのも面倒になるときがあるはずなの。相手に合わず気ままに自分のペースで自分の好きなものを頼み、自分のタイミングで心ゆくまで食事とお酒を愉しみたいときがある。ひとりだからこそ研ぎ澄まされる感覚や、お店の人との会話、出会いだってある。いつも誰かとじゃなくて、疲れた女がひとりカウンターに座る。そんなときがあってもいいじゃない。
だから私は仕事終わりに、休日のふとした時間に、出張先で、ひとり飯をする。ひとり酒をする。
今日は、休日の昼下がり。
前々からの予約もいらない。おごそかじゃない。軽い気持ちでふらっと入れる寿司が食べたくなった。仕事をする前に、寄っていこうか。思いついたのが吉祥寺のある寿司屋だった。
地元民に愛されひっそりと残り続ける「福寿司」
店名を見たときに「鮨」じゃなく、「寿司」と書かれている店が好きだ。
「鮨」と書かれた店は、基本的に多少の肩肘を張って、大将が考え抜いた「おまかせ」と真剣勝負をしにいく。
ネタの脂の乗りは、締め方は、シャリの温度は、ネタとシャリのバランスは。そんなことを嫌でも考えてしまう。
でも、「寿司」は違うんだ。
「寿司」はもっと、いい意味でゆるい。
ひょっこり顔を出して「いまひとりいい?」と聞いて暖簾をくぐるような。
吉祥寺駅から徒歩5分ほど。大きなマンションの前にひっそりと佇む、小さな一軒家寿司。
「なんでこんなところに寿司屋があるんだろう」そう思わざるをえないほど、突然ぽっと視界に入り、不思議な存在感を放つ出で立ち。

引き戸を引くと、笑顔のかわいいじいちゃんが「ぃらっしゃい」と声を出した。
「いらっしゃいませ!!!」ではない。「ぃらっしゃい。」
お客さんを上にも下にもみていないその気軽さ。私はこの感覚が大好きだ。
先客は誰もいない。私と大将二人っきりだ。
店自体は小さく、感じの良いL字カウンターが8席ほど。
地元の江戸前寿司ならではのネタケースの中にが、パセリと笑、鮮やかネタが並ぶ。
創業何年かは聞いたことがないのだが、じいちゃんはもう80歳を超えてるんじゃないだろうか。

まずは瓶ビールでひとり乾杯をして、さっそく寿司を頼むのだが、
その圧倒的コスパに驚愕することになる。
3000円あれば充分満足できる、おまかせ握り
昼夜問わず、おまかせ握りが「1900円」なのだという。
1900円って。安すぎないか。ビールも一本700円ほどでしょう。
昼なんて瓶ビール1本あければ充分なんだから3000円あればお釣りが来るじゃないか…。
社会人3年目が終わったばかり、まだ若手社員の私のお財布には非常に優しい。
さっそく、そのおまかせ握りをお願いする。
じいちゃんがなれた手付きでさくさくと握り、寿司下駄に乗せていく。
まず出てきたのは、7貫。青柳、甘エビ、玉子、イカ、中トロ、穴子。

じいちゃんが毎日が豊洲に買いに行っているネタは、キラキラしていて優しい味をしている。

寿司下駄のスペースが空くと、上からウニがポンっと置かれ、

最後に巻物。
きゅうりとイカの塩辛。

一通りで切ったところで、
甘エビが美味しかったので、エビを追加してみる。
じいちゃんが握る銀シャリは、ほとんど酢の香りがしない。笑
握りもゆるく、仮に一度持ち上げて置いたらそのまま崩れてしまいそうだ。
だから、心はゆったりと、でもさくさくと食べ進める。ビールを片手で注ぎながらね。
私が寿司を握る間、じいちゃんは競馬情報をラジオで聞きながら、新聞と睨めっこ。
自分が買った馬券が当たっているか、確認しているようだ。
「あぁ…。」と小さな声が聞こえる。そして、「ダメだったか…。」とも。
じいちゃん残念だったね。
その姿をつまみに私はビールが進むよ。笑
最後には、あさりのお味噌汁。
腎臓をいたわってから帰ろうか。

お会計は2500円ほど。なんてコスパが良いんだ。
味云々じゃなくてさ、この空間に出会えた喜びに心が満ちて、じいちゃんにお礼を言って満足げに外に出る。
まだ時間は14時半ころ。これからまだ一日はたっぷり残っていて、これから原稿一本書き上げられるかもしれない。
プロデューサーさん。私ひとりで寂しいなって思うときもあるけど、ひとりじゃないと得られないものだって多分あるって思うんだよね。
こういうおじいちゃんと私だけのやりとりとか、空気とか時間とか。
そういう小さな幸せを一人、自分の中で噛みしめられれば、それだけで幸せなんだから。
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