コロナ禍に奪われた私のカタルシス
世界的パンデミックが日本を襲ってはや、4ヶ月が過ぎた。
感染者数が報道され、ダイヤモンド・プリンセス号の集団感染が大きなニュースとなった2月末、まだ私を含め、世間は新型コロナウイルスに対する大きな恐怖心を持っていなかったと思う。
3月に入ると、日に日に感染者数が増え、緊急事態宣言発令の可能性が出てきた。
その頃を堺に、社会には自粛を是とする空気が漂い始める。
出版社勤務で激務の私は、朝から晩まで取材や原稿作成、締切に追われて休みもほとんど無い。
他社同期の友人が楽しそうに恋人と旅行に出かけている写真をSNSで見ながらパソコンを叩く瞬間も、著者の先生から待てど暮らせど原稿が届かない日々のモヤモヤも、何時間もかけて書いた原稿が全て書き直しになる不甲斐なさも、優秀すぎる先輩たちに囲まれ、「私は何もできない」と焦る心も、全部、全部を抱えきるには私には何かが必要だった。
それは私にとって、一日の中で美味しいごはん食べれること、そして、仕事終わりの深夜にひとり、発見した未踏の店のドアを引き、ビールとともに心を満たす料理に酔いしれる空間だった。
それさえあれば、全てが解決された。
4月7日に緊急事態宣言が出されたあと、私は変わらずインスタグラムに食事の写真をUPしていたけど、流せば気にならない程度の数ではあったが、日に日にフォロワーからの風当たりが強くなっていった。投稿した料理の写真が宣言前に訪れた店であろうと。
コロナに関する原稿を担当して、緊急事態宣言を出したからって、パンデミックが収まることは無いと知っていた。それよりも、経済を止めたことによって、数えきれないほどの店や会社に影響が出ることを、その悲惨さを知っていた。けれど、医療崩壊は阻止しなければいけないあい、答えのない未知のウイルスとの戦い方を見極めるために、社会全体の自粛が必要とされていることもわかっていた。そして何よりも、社会の目がある。自分の立ち場がある。「自粛警察」と呼ばれる人々の監視の目に逆らって、食べ歩くほどの強さもなかった。

毎日ワンルームの部屋に一人。社会に一緒にいれば気軽に相談ができるような内容も、テキストでわざわざ送るのは気が引ける。編集部に移動してまだ2,3ヶ月。分からないことが多すぎて追い込まれていく。でも、飲みにも行けない。ご飯も食べれない。捌け口がない。突然強いられた環境変化。週7で外に出歩いていた私が突然狭い部屋に閉じ込められることは苦行でしかなかった。やる気も失われ、もう殆ど鬱状態になる自分をなんとか奮い立たせていたものの、限界だった。
そんなときふと、神楽坂での取材が入る。撮影があるので、オンラインはでの実施は不可能だ。
人目を隠れるように静かに、でも、久々の外取材に心身が太陽のエネルギーを浴びているようだった。
1978年創業 神楽坂の老舗町中華へ
いましかない。
取材帰りにひっそりと、駅と反対の神楽坂方面に向かう。
私が足を止めた前には、神楽坂の老舗町中華「龍朋」。

学生時代、長いこと神楽坂でアルバイトをしていた私は、出勤前によくこの店に通っていた。
パンデミック下でテイクアウトの数が多くなったとのことであるが、それでも店内営業を継続しており、店内は静かな満席を迎えていた。
各々が注文した料理をモクモクと食べ、胃を満たしていく、久しぶりに感じるこの空気感。
「チャーハンください。」
龍朋のメニューには餃子がない。なので、看板メニューである炒飯だけを頼むことが多い。
ブルーの中華皿に載せられたきれいなお椀型の炒飯が運ばれてくる。

本当に待ってた…!私は炒飯がずっと食べたかった!待ちわびた炒飯を前に、心の虚無がどんどん満たされていくのを感じる。
一口目、ケチらない。レンゲに炒飯を山盛り乗せて口に運ぶ。
「ああああああああああああ。はぁ!美味しい。」
塩気は少なめ、ネギや卵の主張は控えめだけど、大きな米粒のなかに柔らかいチャーシューがゴロゴロと入っている。

炒飯を食べる際に重要視するのは、米に染み込んだ脂の香り。
良質な脂の香ばしさが口の中を漂い、「そう、これこれ」と言いながらひとり頷く。
ともに運ばれてきた、スープも激ウマ。
よくある醤油ベースのさらっとしたものではなくて、とんこつラーメンや味噌ラーメンのような、濃厚で深みのあるスープを一口流し入れて、そしてまた炒飯を食べる。
生き返る、これでいい、私の幸せはこれでいい。
いろいろ大変な環境のなか、それでも営業を続けていてくれてありがとう。
地元民にも、近くで働くサラリーマンや、学生にも愛され続ける龍朋は、
コロナ禍でも変わることなく、人々に必要とされている店だった。


コメント
ここにしても、兆徳にしても繁盛店は町中華の要件を満たさないわな。
お若い人、本当に旨いチャーハンを教えてくだされ。